南極条約と極地汚染
不毛と言われてきた南極大陸でも次々に石油や鉱物が発見されて、資源開発も現実味を帯びてきました。
その一方で、南極上空のオゾン層にあいた「穴」が、地球環境への不安を駆り立て、地上でも基地や観光客による環境破壊が始まりました。
南極は科学調査の時代から、環境破壊の時代へと突入しました。
論議に火をつけたのは、「南極条約」が91年に30年の有効期間が終わるのを見越して、88年に採択された「南極鉱物資源条約」です。
厳しい監視のもとで乱開発に歯止めをかけながら資源開発を促すという内容で、科学調査に限られて
いた南極の資源開発にゴーサインを出しました。
しかし、20ヶ国が採択してあと一歩で発効というところで、世界的な環境保護の波が南極にも押し寄せてきました。
とくに、89年3月に起きたアラスカ沖の大型タンカー座礁事故は、保護論争にはずみをつけました。
この直後パリで開かれた定期会議では、フランスやオーストリアが中心になって、新たに南極の環境保全の国際合意をつくるべきだ」として、条約に真っ向から反対しました。
90年にチリで開催された南極条約協議国の特別会議では、ニュージーランド、スウェーデン、イタリアなどが新たに加わって、環境保護派は一大勢力となりました。
一方、日本、英国、蓮などは鉱物資源条約を支持しました。
同条約では資源開発活動が環境にもたらす影響の事前評価を義務づけているので、破壊の心配はないという主張です。
米国は微妙な立場でした。
議会が南極の自然保護を求めて、国際協定ができるまで南極での資源開発を禁じる法案可決しました。
やむなく、政府は開発の一時凍結案を提出しました。